ガラパゴス恐怖症
バリだけは90%以上の人が「バリ・ヒンドゥー教」という独自宗教を崇拝しています。
※インドのヒンドゥーよりもカーストなどだいぶ緩いそうです
二元論や三位一体という考え方が根幹にあり、
単純に言うと「バランスが良くないもの、偏ったものはダメ」なんだそうです。
男と女も二元論に当てはまりますし、二者が協力し共存することが三位一体に当てはまる、というわけです。おお、これはまさしく夫婦の姿ではないですか(笑)
寺院には、男と女を示す像の間に子供らしき像があったりして
バランスが大事であることを如実に物語っていました。
男だけでもダメ、女だけでもダメ、夫婦だけでもダメってことなんですかね。
なんだか私が考えてることの本質に近い気がして感銘を受けたのですが、
結婚することで得られる一番のメリットについて考えたとき、
それは「偏らないこと」じゃないかと思っているんですね。
いつも一人でいれば、知らずうちにどこかに偏っていくものです。
偏るのは必ずしも悪いことではなく、偏らなければ効果を発揮しないこともあります。
例えば仕事や自己啓発でよく言われる「強みを磨く」なんていうのは
長所にスポットを当ててもっと尖らせよう、偏らせようってことです。
ただこれは故意に「偏らせている」のであって、知らないうちに「偏っている」のとは違う。
そして、技能や技術を偏らせるのであって、人間性を偏らせるのとも違う。
自分自身が偏ることの終焉は孤立化であり、孤立していることにすら気づかなかったり、
気づいても修正が効かなくなったりすることだと思うのです。
私は昔から偏ることを警戒しています。
偏ることは視野狭窄やガラパゴス化を招くからです。
孤立すると、しなくてもいい苦労を背負ったり、正解でないものを正解だと思ったり
その逆になったりと、いいことが少ないなと率直に思います。
視野狭窄でないと辿り着けない答えもありますので、そのものを否定することはできません。
ただ、自分自身はいつも広い視野で周囲を見渡している状態で
狙ったところだけ適切な意思をもって偏らせるのが理想なのです。
自分自身が迷ってしまっては、誰かを導くこともできなくなってしまいますからね。
結婚は、自分という最小単位をひとつ上の段階に上げてくれる手段であり
迷わないための道しるべにもなると考えています。
そういう意味でも、結婚は社会的な行為と言えるでしょう。
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